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福島地方裁判所会津若松支部 昭和50年(ワ)18号 判決 1977年1月26日

原告 中島壽雄 ほか一名

被告 国 ほか二名

訴訟代理人 宮村泰之 山田厳 佐々木寛 小川誠 鈴木光幸 三本杉博行 ほか三名

主文

一  被告有限会社東会建設、同尾山金男は、連帯して、原告ら各自に対し、金四五六万円とこれに対する昭和五〇年三月四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え、

二  原告らの、被告有限会社東会建設、同尾山金男に対するその余の請求及び被告国に対する請求は、いずれもこれを棄却する。

三  訴訟費用は、原告らと被告有限会社東会建設及び同尾山金男との間においては、原告において生じた費用を三分し、その二を被告有限会社東会建設、同尾山金男の連帯負担とし、その余は各自己負担とし、原告らと被告国との間では全部原告らの連帯負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

「1 被告らは、連帯して、原告ら各自に対し、金七〇〇万円とこれに対する昭和五〇年三月四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は、被告らの連帯負担とする。」との判決及び第1項につき仮執行宣言。

二  被告ら

「1 原告らの請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  中島明雄(以下単に「明雄」という。)は、昭和四九年二月一日午後四時三〇分ころ福島県会津若松市川原町一丁目ぞいの阿賀野川水系湯川左岸河川敷(川原町橋より下流約一二〇メートル付近)に積まれていたコンクリート工事用枠板の下敷となり、その結果、死亡した。

2  (国家賠償法による国の責任)

(一) 阿賀野川水系湯川は、一級河川の指定を受けていたから、本件事故現場の管理責任は、建設大臣が負うべきものである。

(二) 本件事故現場は、付近の人々の通行に利用され、また付近の子供の遊び場所として使われていたから、安全に管理されるべきであつたのに、被告有限会社東会建設(以下単に「被告会社」という。)が、昭和四九年一月中旬本件事故現場にコンクリート工事用枠板約一五〇枚を持ちこみ、十数か所に約一〇枚ずつを野積みにしていた状態を、管理者が、放置していたため、本件事故が発生したものであつて、本件事故現場の管理に瑕疵があつた。

3  (被告会社、被告尾山金男の帰責事由)

(一) 本件事故現場は、付近の人々の通路及び子供の遊び場所として使用されていた河川敷であつたから、その場所に枠板等を野積みする際には、河川管理者の許可を得たのち、枠板に通行人の身体が触れたり、子供がその上に登つて崩れたりなどして、不慮の事故が発生することがないよう、通行人らが枠板に接近するのを防止し、または、枠板が倒壊しないよう防止するための施策を講じ、安全な場所で、安全な方法によつて、作業を行うべき注意義務があるのに、被告会社従業員らは、これらの義務を怠つて、昭和四九年一月中旬ころ、本件事故現場に、枠板約一五〇枚を何らの安全策を施さないまま漫然と野積みにした過失により、本件事故を発生させた。

(二) 被告会社従業員らは、右作業を被告の業務として行つた。

(三) 被告尾山金男は、被告会社の代表取締役であり、右作業の監督指示をした。

4  原告中島壽雄、同中島米子は、それぞれ明雄の父、母である。

5  (損害)

(一) 得べかりし利益の喪失 金一、四八二万七、四九三円

明雄は昭和四三年二月六日生であつて、本件事故当時満六歳の直前であつたから、満六三歳まで稼働可能であつた。昭和四七年の年齢別平均給与額を一・一倍して一八歳から五八歳までの五年ごとの収入額を求め、各五年間は給与額が変わらないものとして、それぞれ三分の一ずつの生活費を控除し、各五年ごとの収入を求めて、それぞれについて新ホフマン式係数を乗じて、その総和を求めると、金一、七〇三万九、〇九三円となる。これに対し、一八歳に至るまでの養育費は、毎月二万円ずつ一二年間要するものとして、新ホフマン係数を乗じて計算すると、金二二一万一、六〇〇円となる。したがつて得べかりし利益は右両金額の差金一、四八二万七、四九三円となる。原告らは、それぞれ石金額の二分の一の金七四一万三、七四六円の請求権を相続によつて取得した。

(二) 慰藉料 原告ら各自金三〇〇万円

明雄の死亡による原告らの精神的損害は、それぞれ金三〇〇万円を下らない。

6  よつて原告らは、被告ら各自に対し、被告国に対しては国家賠償法二条により、被告会社に対しては民法七一五条一項により、被告尾山金男に対しては同条二項により、各自の損害金一、〇四一万三、七四六円のうちそれぞれ金七〇〇万円とこれに対する弁済期後である昭和五〇年三月四日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による金員の支払を求める。

二  請求原因に対する被告国の答弁

1  請求原因第1項の事実は不知。

2  同第2項(一)の事実は認める。同項(二)の事実中当該日時場所においてコンクリート工事用枠板が野積みになつていた事実は認めるが、その余は否認する。なお、本件事故現場の河川敷はいわゆる自然公物であつて国家賠償法二条一項の「公の営造物」に該当せずまた、河川敷内に物件を搬人した者があつても、管理者がその撤去を命じ、又は自らこれを撤去しないことが、直ちに同項の「管理の瑕疵」に当るわけではないから、被告国には本件の賠償責任はない。

3  同第4項の事実は不知。

4  同第5項の事実は不知。

三  請求原因に対する被告会社及び被告尾山金男の認否

1  請求原因第1項の事実中、明雄が当該日時、場所において、枠板の下敷となつたことは認める。その余は否認。

2  同3項の(一)の事実中、被告会社従業員らが、当該日時場所において、枠板を積み上げたことは、認めるが、その余の事実は否認する。被告会社従業員らは、除雪したのち、積み上げ作業を始め、通常の力では崩れないように、厳重な積み重ねをしたから、過失はない、同項(二)(三)の事実は認める。

3  同第4項の事実は不知。

4  同第5項の事実は不知。

四  抗弁

1  本件現場は河川敷であり、かつ積雪の状態であつたから、安全性に疑問があるのに、原告らは、明雄を放置しておいて、本件現場に赴くにまかせたのであるから、原告らにも過失がある。

2  明雄は、ある程度の危険性を察知しうる年齢に達していたのに、自ら危険を招く行為に及んで、本件事故に遭つたものであるから過失がある。

よつてかりに被告らに責任があるとしても過失相殺されるべきである。

五  抗弁に対する認否

抗弁事実はいずれも否認。

第三証拠<省略>

理由

一  (事故の発生)

<証拠省略>を総合すれば、次の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

「(一)中島明雄(昭和四三年二月六日生)は、昭和四九年二月一日午後九時一五分ころ、福島県会津若松市川原町一丁目六番吉川義雄方居宅北方約二五メートル付近を流れる湯川の左岸(上流から下流に向つて)川原町橋下流約一二〇メートルの河川敷の一角で、凍死体となつて発見された。現場河川敷は、一級河川阿賀野川水系に属し、建設大臣が管理すべきもので、その事務は、その補助機関である会津若松建設事務所長が担当していた。湯川は、現場付近をほぼ東西に流れ、現場付近の河川敷は、幅員約三〇メートルで、右死体発見当時、付近一帯は、約一メートル余の積雪に覆われていたが、その中央付近は、さほど多くはないけれども、歩行者が通行していた関係上、湯川上流の川原町橋から下流に向けて、ほぼ東西に、歩行者が通行できる程度の幅約〇・五メートルの雪道ができていた。積雪のない季節には、その雪道のある場所は、凹凸のある雑草地となつて、その南方約一〇メートルの付近を幅約五〇センチ程度のいわゆる農道が、東西に走つている。その雪道の両側には、コンクリート打込に用いる建築用木製型枠が、十数か所にわたつて、高さ約一メートルないし一・三メートル程度に野積みされていた。その型枠の規格は、一定していないが、概ね、長さが約五・五メートル、幅が約三五センチメートルないし約六五センチメートルの大きさのベニア板の周辺等に厚さ約五センチメートル、の桟を釘で固定させた構造のもので、型枠一枚の重量は、大体二〇キログラムないし二五キログラム程度であつた。明雄は、発見の当時雪道上の東側の部分に崩れた型枠の下敷となつて、仰向けの状態であつた。崩れた部分の型枠は、崩壊前には、二六枚が全体で約一・二〇メートルの高さに積み上げられていたが、右発見当時そのうち最上部の六枚が、平に重なつたまま雪道上に滑り落ち、最下部の五枚が崩れないで残り、その余は、雪道上に滑り落ちて下部の五枚を背にほぼたてに並んだ.状態であつた。明雄は、そのうち上部の六枚の型枠のほぼ中央部分で、その下敷となつており、頭部を東に向けて倒れていた。明雄の直接死因は凍死で、その原因は、型枠の崩壊に基づく頭部打撲による失神であつたが、他に明雄の身体には、左鎖骨骨折、左上腕骨骨折の傷害が認められた。

(二) 明雄は、当時、若松第三幼稚園に通う園児であつたが、事故の当日、幼稚園から帰つたのち、同じ園児で友だちの吉川勇の家へ出かけ、勇の家で勇と遊んでから、さらに、同人と外へ出かけ、友達の若林を加えて、三人で、湯川のやや下流の鉄橋付近や本件現場の西方のまるいちアパート付近で、雪遊びをしたか、同日午後四時三〇分すぎころ、勇が先に帰つてしまつたため、一人で泣きながら、帰宅するために本件現場の方向へ歩いて行つた。」

以上の事実によれば、明雄は、遊び終わつて帰宅する途中、本件現場に至り、何らかの原因で崩壊した型枠によつて、頭部を打撲して失神し、型枠の下敷となつて倒れているうちに、凍死したものと認められる。

なお、本件の全証拠によつても、石の型枠の崩壊が、どのようなきつかけで起きたものであるかを認定することはできない。

二  (帰責事由)

1  被告会社、被告尾山金男について

(一)  <証拠省略>に当事者間に争いのない事実を総合すれば、次の事実を認めることができる。

「(1) 第一項において認定した明雄の死亡事故(以下「本件事故」という。)の発生現場である河川敷には、前記のとおり通路状の雪道があつたが、この雪道は、会津若松市御旗町方面から川原町橋方面への近道となることから、付近の小中学生や勤め人らの中に、通路としてその上を通行するものがあつた。

(2) 被告会社では、当時請負つていた建築工事に必要なため、昭和四九年一月二五、六日ころから、本件事故現場に接する吉田ストア敷地内を作業場として、松本等が現場主任となつて、コンクリート打込に用いる前記の建築用木製型枠の製作作業を始めた。松本らは、本件現場は、前記のとおり、一級河川の河川敷であつて、同所を通行する者があることを知つていたが、石作業場に近いことから、他の場所に移動させるまでの間、一時置いておく意図のもとに、前記第一項のとおり、石型枠を本件事故現場に積み上げた。しかし、その積み上げ作業の際松本らは、なるべく型枠のベニア板とベニア板が又桟と桟とが重なるように積み上げただけで、積み上げる際に型枠の下の雪を完全にとり除くこともせず、型枠が通行の防害となつたり、崩壊したりするのを防ぐ手だてを特に講ずることをしなかつた。しかも、本件現場付近は、積雪のないときにも、もともと凹凸のある場所であつたが、積み上げられた型枠には、上部に下部より大きなものがあつたり、桟と桟とが十分に重ねられていないために、やや不安定な部分も何か所かに見うけられる状態であつた。

なお、被告会社は、右作業にあたり、本件現場の管理者である会津若松建設事務所長に対し、河川敷占用の許可申請を経てはいなかつた。

(3) 被告尾山金男は、被告会社の代表取締役社長であつて、右の型枠の製作作業及び積み上げ作業にあたつて、松本らに、個々の作業指示をし、監督をした。」

なお、証人松本等の証言中の「松本らが本件現場で型枠を積み上げる作業をするにあたつては、その下の雪をとり除いて安定を計つていた」との供述部分は、本件現場写真であることについて争いのない<証拠省略>に撮影された型枠と雪との状態から判断して採用しがたく、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

(二)  右認定事実によれば、被告会社従業員松本等らは、本件現場が、一般人によつて、事実上通路として使用されていたこと及び型枠は一枚でも相当の重量になることを知つており、しかも当時その付近には相当の積雪があつた関係上、型枠の下に雪があると安定を失い、又通行人が雪の為に滑走して積み上げた型枠に当るなど、自然力または軽微な人力によつて、容易に倒壊、落下し、通行人に危険を及ぼす事態を予測できたはずである。

したがつて、同人らとしては、型枠をこのような場所に積み上げることを避けるか、または、本件現場付近に積み上げるとしても、その場所を河川敷中の雪道から遠く離れた場所に選び、或いは、十分に安定した状態に積み上げたうえ、棚や網等を用いて、型枠が容易に倒壊、落下等しないように施策を講じて、人身事故が発生しないように注意すべきであつたのに、この注意義務を怠つて、型枠の崩壊を招き、その結果、本件事故を発生させたものといわざるをえない。従つて松本らの過失は否定できない。

(三)  (一)において認定した事実によれば、被告尾山金男が、被告会社の代理監督者の地位にあることも、明らかである。

(四)  そうすると、被告会社、被告尾山金男は、それぞれ、民法七一五条一項、二項によつて、本件事故による損害を賠償すべき義務があると認められる。

2  被告国について

(一)  前記認定したとおり、本件事故の発生現場は、建設大臣が

これを管理し、その補助機関たる会津若松建設事務所長がその事務を掌つている一級河川の河川敷であることが、明らかである。ところで、被告国は、河川のようないわゆる自然公物は、国家賠償法二条一項にいう「公の営造物」には該当しないと主張する。しかし、同条項は公の営造物の例示として単に「河川」とのみ明示しているのみならず、河川等に人為的施策を講ずることが可能であり、従つてこのような施策を講じられなかつたこと自体に瑕疵があるとされる場合は、ともかくも何らかの施策を講じ一定の施設を設けたものの、右施設になお瑕疵のある場合に比較して行政官庁の怠慢が大きいのに、後者の場合に認められる同条の救済が前者の場合に否定されることは権衡を失し不合理であることからも、右主張は採用できない。

(二)  そこで、本件現場の管理者たる建設大臣及びその補助機関に河川敷の設置または管理があつたか否かを検討することとする。前記各認定事実によれば、

(1) 本件事故の発生現場付近の河川敷は、前述の通りある程度一般人の徒歩による通行の用に供されていたとはいうものの通常の道路や公園等と異なり、もともと通行等の用に供されていたものでなく、前認定の通りさほど多くない人が事実上この付近を徒歩で通行していたに過ぎず、必ずしも本件事故地点付近が常時外形的に道路の形態をなしていたものではなく、却つて雪のない間歩行者は主に右地点より約一〇メートル南方のほぼ東西に通じる細い農道を通行していた可能性が大で、本件事故当時たまたま雪の為右農道が雪で埋まり、本件事故地点に前記の通り雪道ができていた関係上ここを通行人が通つていたにすぎないものであること、

(2) 河川について予想される内在的危険性は、洪水や高潮等の水害とか、河川への転落による水難等水に関するものであるが、本件事故はたまたま河川敷において発生したとはいうものの、何ら河川の内在的危険性が顕れた事故ではないこと、

(3) 本件事故の原因となつた型枠は、一枚一枚では人身事故を発生させる可能性のきわめて小さいものであるうえに、積み上げられた状態においても、外観上直ちに事故を発生させる蓋然性が認められる物件ではなかつたこと、

(4) 本件現場への型枠積み上げ作業が開始されてから、本件事故の発生まで、たかだか一週間程度の日数しかながつたため、占用許可申請のなかつたこととあいまつて、河川管理者において、本件現場に物件が積載されていることを知り、または、これを知つたうえで何らかの処置を講ずる余裕があつたとはいえない状態であつたことをそれぞれ認めることができる。

(三)  そうすると、本件事故現場の管理者である建設大臣及びその補助機関において、物件を放置した者らに対して、その撤去を求め、または、その管理の態様について改善命令等を出さなかつたことを以つて公物の設置または管理に瑕疵があるということはできない。

けだし、国家賠償法二条にいう営造物の設置または管理の瑕疵とは、周囲の状況、通常の用法に照らして、営造物が通常備えるべき性質または設備を欠くこと、すなわち本来の安全性に欠けている状態をいうものと解され、なお、管理者にとつて不可抗力の場合は同条の責任は免責されると考えられるところ、右のような事実関係のもとでは、本件現場の河川敷が、社会通念上予想される危険性に対する安全性を失つているとは考えられないし、また、本件現場の管理者に右のような措置を取ることが可能であつたとも考えにくいからである。

なお、河川法二四条、七七条、同法施行令一六条の四、同条の八の各規定は、主に治水及び利水上の観点から公物たる河川敷の管理について規定したものであるから、右認定の事実関係のもとでは、右各規定があるからといつて、直ちに管理上の瑕疵を認定することはできない。

(四)  以上の通りであるから、被告国に対する原告らの請求は、理由がないことに帰する。

三  (相続関係)

<証拠省略>によれば、原告中島壽雄、同中島米子がそれぞれ明雄の父、母であり、同人の相続人として各自二分の一ずつの相続分を有することが認められる。

四  (過失相殺)

1  前記のとおり、本件事故の原因となつた型枠の崩壊が、どのような経過を経て、ひき起こされたものであるかについては、本件全証拠によつても確定しえない。

したがつて、明雄に、本件事故を誘発するような何らかの行為があつたことを認定することはできないし、前記に認定した事実関係のもとでは、明雄が、本件現場付近を通行したこと自体を、明雄の過失と認めることはできず、他に明雄に何らかの過失があつたことをうかがわせる証拠もない。

2  また原告ら自身に過失相殺されるべき事情があるか否かについて考えるに、前記に認定したとおり、明雄は、既に満六歳を直前に控えた幼稚園児であつて、一人で通園に耐える年齢になつていたこと、本件現場は、他にも通行者のある雪道であつて、特に危険性の伴う場所ではなかつたことが明らかであるから、明雄の保護者である原告らが、明雄をひとりで通行させたことを原告らの過失と考えることはできない。

さらに、明雄の死因が凍死であつたことは、前記認定のとおりであつて、明雄に随伴者があれば、明雄の死は避けられたものとは考えられるが、原告らが本件事故のような態様の事故のあることまで予想して、随伴者をつけるべきであつたとまではいいえないから、この点は、原告らの慰藉料算定にあたつて考慮に入れれば足り、右の点をとらえて、原告らの過失ということはできない。そして他に、原告らに過失相殺されるべき事由があることをうかがわせる証拠はない。

3  そうすると、過失相殺の抗弁は理由がない。

五  (損害)

1  得べかりし利益の喪失明雄は、昭和四三年二月六日生であつて、本件事故当時満六歳の直前であつたことは、前認定の通りである。また、<証拠省略>によれば、賃金センサス昭和四八年第一巻第二表記載の産業計企業規模計の男子労働者の学歴計の給与額は、きまつて支給する給与額が金一〇万七、五〇〇円、年間賞与その他の特別給与額が金三三万九、二〇〇円であることが認められる。前者を一二倍して後者と合計して得られる金一六二万九、二〇〇円が、将来明雄が得べかりし年間給与額と認められる。

明雄は、事故当時、ほぼ満六歳であつたから、就業可能と認められる満一八歳までに一二年間、稼働可能の限度と認められる満六七歳までに六一年間を残していたと認められる。ところで、六一年と一二年の年五分の割合によるライブニツツ係数は、それぞれ一八・九八〇三、八・八六三三であるから、右年間給与額に、両者の差一〇・一一七〇を乗じてさらに二分の一の生活費控除をした金八二四万円(一万円未満は切り捨て)が稼働によつて明雄が得るべき利益と考えられる。一八歳までの養育費は、月金二万円としてこれを一二倍して年額に直し、右の一二年のライブニツツ係数を乗じて中間利息を考慮して得られる金二一二万円(一万円未満は切り捨て)と認められる。金八二四万円から右の養育費を控除した金六一二万円が、明雄の得べかりし利益の総額であることが考えられる。

右金額を、各原告の前記相続割合に応じて分配すると、金三〇六万円ずつを各原告において請求することができる。

2  慰藉料

本件事故の態様、被告会社従業員らの過失、明雄の年齢、前記のとおり、明雄に随伴者がいたならば凍死という事態は避けられたという事情、原告らの家族構成その他証拠に現れた一切の事情を考慮すれば、明雄の死亡による原告らの精神的損害は、原告各自につき金一五〇万円と認めるのが相当である。

六  (結論)

以上のとおりであつて、原告らの請求は、原告ら各自が、被告会社及び被告尾山金男に対し、連帯して、金四五六万円と、これに対する本件不法行為後であることが明らかな昭和五〇年三月四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、右各被告に対するその余の請求及び被告国に対する請求は、失当であるから、いずれもこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言につき同法一九六条一項を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 村上守次 清野寛甫 成田喜達)

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